袴田事件 再審取り消し 血痕鑑定、信用性否定 東京高裁

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東京高裁に向かう袴田巌元被告の姉秀子さん(右)と西嶋勝彦弁護団長=東京都千代田区で2018年6月11日午後1時17分、丸山博撮影
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自身の支援集会で登壇し、マイクを握る袴田巌さん(左)。右は姉秀子さん=東京都千代田区で2018年2月24日、小川昌宏撮影

1966年に起きた「袴田事件」で死刑が確定し、2014年の静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌元被告(82)の即時抗告審で、東京高裁(大島隆明裁判長)は11日、地裁決定を取り消し、再審請求を棄却する決定を出した。地裁が再審開始の根拠とした弁護側のDNA型鑑定について「信用性は乏しい」と判断した。一方で、袴田さんの健康状態などを考慮し、死刑と拘置の執行停止については維持した。弁護側は再審請求の棄却を不服とし、最高裁に特別抗告する方針。

死刑と拘置停止は維持
 地裁は、確定判決が犯行時の着衣と認定した「5点の衣類」の血痕について、弁護側推薦の本田克也・筑波大教授が「袴田さんのものでも、被害者のものでもない」と結論付けたDNA型鑑定の信用性などを認め、再審開始を認めた。

 これに対し、高裁は本田氏の鑑定について「一般的に確立した科学手法とは認められず、有効性が実証されていない」と指摘。「鑑定データが削除され、検証も不能だ」と批判し、信用性を否定した。

 また、地裁決定は「5点の衣類」が事件から1年2カ月後にみそタンク内から見つかった経緯を巡り「衣類の変色の仕方が不自然で、警察が捏造(ねつぞう)した疑いがある」としていたが、高裁は「タンク内のみその色と再現実験のみその色が異なるなど比較方法が不適切で、地裁の判断は不合理」と覆した。

 高裁は、捜査段階の袴田さんに対する取り調べについては「供述の任意性や信用性の確保の観点からは疑問と言わざるを得ない手法があった」と指摘したが、捏造に関しては「(不適切な)取り調べ状況と結び付けることは飛躍がある」と否定した。

 浜松市内で高裁決定の一報を聞いた袴田さんは「そんなのはうそだ。そんな事件はない」と話した。【石山絵歩】

 西嶋勝彦弁護団長の話 不当な決定であり、到底承服しがたい。

 曽木徹也・東京高検次席検事の話 法と証拠に照らし、適正かつ妥当な判断であると理解している。

 【ことば】袴田事件

 1966年6月30日未明、静岡市清水区(当時・清水市)で、みそ製造会社の専務の男性(当時42歳)方から出火。焼け跡から、専務と妻(同39歳)、次女(同17歳)、長男(同14歳)が他殺体で見つかった。元プロボクサーで同社従業員の袴田巌さんが逮捕、起訴され、公判で無罪を主張したものの、80年に最高裁で死刑が確定。第1次再審請求は2008年に最高裁で再審不開始が確定したが、第2次再審請求に対して静岡地裁が14年に再審開始を決定。検察側が即時抗告し、東京高裁が審理していた。



 引用元:https://mainichi.jp/articles/20180611/k00/00e/040/173000c
袴田事件の概要・冤罪・長女の犯人説・長女の現在

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袴田事件の概要
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袴田事件とは
袴田事件とは、昭和41年(1966)静岡県の清水で起きた強盗殺人放火事件です。6月30日、味噌製造会社の専務宅が放火されました。そして焼け跡から専務とその妻、17歳の次女と14歳の長男の他殺体が発見されたのです。一家で生き残ったのは当時19歳の長女橋本昌子さんだけでした。

警察が味噌工場とその従業員を調べ、袴田事件から5年前に引退したフェザー級のプロボクサーの袴田巌さんの部屋から血のついたパジャマを押収しました。その後、強盗殺人と放火、窃盗の容疑で逮捕され、裁判で死刑判決を下されました。

しかし、袴田事件はここで終わりではありません。袴田事件の犯人で死刑を宣告された袴田巌さんは、冤罪を訴えました。

袴田事件の流れ
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容疑者・袴田巌さんの半生
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袴田事件で容疑者として逮捕され、死刑判決を受けた袴田巌さんは昭和11年(1936年)に静岡県の浜松に生まれました。中学卒業後からボクシングを始め、23歳の頃プロボクサーを目指して上京し、ボクシング草創期の強豪ボクサー、岡本不二氏の弟子となります。

そして、その年の11月にプロデビューを果たしました。全日本フェーザー級の6位にもなりましたが度重なる試合に身体不調となり、プロデビューから2年後の昭和36年(1961年)の5月に引退しました。

しかし、袴田さんはボクサー復帰を諦めてはいませんでした。いつか再起することを考えながら清水の味噌会社に就職します。そして、引退から5年経った昭和41年(1966年)6月30日、のちに袴田事件と呼ばれる強盗殺人放火事件が起こります。

袴田事件当日の出来事
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袴田事件の現場となった専務宅は、普段から従業員が食事をしたり、子供たちの家庭教師がやってきたりと人の出入りが激しい家でした。加えて当日は月末だったため、さらに多くの人が訪れて証言をしています。それによると、大体のタイムスケジュールは下記の通りになります。

18:00経理が専務宅を後にする。

22:00次女と長男の家庭教師2名が帰る。この時中年男性が来訪する。

22:10長女が帰宅する。

22:30袴田さんが寮に戻って就寝

02:10専務宅から火災発生。袴田さんら従業員が消火活動を手伝う。

02:30火災鎮火

この家庭教師が見たという中年男性は誰なのか判ってはいません。袴田事件の重要な参考人となる人物の可能性がありますが、警察が調べた形跡はないのです。また、長女は袴田事件発生時は素行不良で両親から勘当されていて、祖父の家に住んでいました。袴田事件当日に帰ってきた理由は長女自身の弁では「旅行の帰りに立ち寄った」との事です。

袴田事件の状況
全焼した家屋跡から見つかった家族4人の真っ黒に焼けた遺体には、鋭利な刃物で何十箇所も刺された跡がありました。焼け残った衣類からはガソリンの臭いがついていて、店の売上金8万円が盗まれていました。

警察は、事件の状況から会社の関係者であるという疑いを強め、事件現場の線路を隔てた裏側にあった工場2階の従業員寮に住んでいた袴田巌さん(当時30歳)にアリバイがない事を突き止めました。袴田さんは、事件直後に左手中指に怪我を作っていて、部屋を捜索すると袴田さんとは違う血液型の血痕がついたパジャマが発見されました。

そしてなんと「元ボクサーだから」という理由で犯人と断定され、逮捕されたのです。事件は「袴田事件」と呼ばれるようになり、袴田さんは20日間勾留されて取り調べを受ける事になります。

無実を訴える袴田さん
袴田事件の容疑者として逮捕された袴田さんは、20日間ずっと容疑を否認していました。しかし、拘留期限の3日前についに自白したのです。それによると事件当日、店の売上金を盗もうとした袴田さんは、パジャマ姿で専務宅に侵入しました。しかし、専務に見つかったために小刀で家族4人をメッタ刺しにして殺し、売上金を盗んで油を撒いて火を放ち逃走したと言います。

しかし、11月に開かれた袴田事件後初の裁判で、袴田さんは再び無罪を主張しました。裁判は年が明けても続き、検察側の立証が終わろうとしていた袴田事件翌年の昭和42年(1967年)の8月、新たな証拠が見つかります。味噌製造工場の味噌タンクの底から、血に染まった衣類の入った麻袋が従業員の手で発見されました。

ついに容疑者に死刑判決
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警察が袴田さんの実家の部屋を調べると、タンスの中から5点の衣類の中の一つ「鉄紺色のズボン」と同色の共布(裾上げした時の切れ端)を見つけました。袴田さんは、5点の衣類は自分のものではないと主張しましたが、翌年の裁判で死刑が言い渡されました。

袴田さんは、その判決を不服を申し立てて控訴し、死刑判決の翌年、昭和44年(1969年)5月から、もう一度裁判が行われるかの審判が東京最高裁判所で行われました。その時に、袴田さんは5点の衣類の着用を強く希望し、鉄紺色のズボンは袴田さんには小さすぎる事が証明されました。

しかし事件から10年経った昭和51年(1976年)5月、東京最高裁は袴田さんの控訴を棄却。袴田さんはなおも無実を訴えますが、昭和55年(1980年)12月にそれも棄却され、袴田事件から14年経ってついに死刑が確定したのです。

それでも僕はやっていない
しかし、袴田さんの主張はなおも変わりません。判決の翌年、昭和56年(1981年)に静岡地方裁判所に再審を請求し、弁護団が無実を示す多くの新証拠を提出しました。その訴えは、元号が平成に変わっても続けられました。

技術も進歩して、今では当然行われているDNA鑑定も始まりました。しかし、再審の訴えは平成6年(1994年)8月に棄却されました。希望を託した5点の衣類のDNA鑑定結果は「鑑定不能」でした。

弁護団はすぐに不服申し立てを行いますが、棄却され続け、ついに平成20年(2008)3月再審は行われない事になりました。袴田さんも長期の拘禁と死刑への恐怖のため、精神疾患に掛かり、自分で再審請求ができなくなり、代わりに姉のひで子さんが再審請求をしました。

袴田さんついに釈放
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第2再審が請求された時期は、平成2年にあった女児殺害事件の「足利事件」や、袴田事件と同時期昭和42年にあった強盗殺人事件の「布川事件」など、冤罪が疑わしい事件の再審が認められ、容疑者が無罪となるケースが立て続けに起きました。

世間も「冤罪」に対する関心が強くなり、国会でも衆参両議員からなる「袴田巌死刑囚救援議員連盟」が発足しました。法務大臣に死刑執行停止を請求しました。

検察側も証拠開示に応じました。そして袴田さんのアリバイを証言した同僚がいたにも関わらず、検察が袴田さんが犯人であるかのように供述を捏造した事が発覚し、さらに精度を増したDNA検査で、被害者の服に付着していた犯人のものと思われる血が、袴田さんのものではない事が判明しました。

そして平成26年(2014年)袴田事件から48年、当時30歳だった袴田さんが78歳になってようやく再審が決定し、死刑および拘置の停止されました。

裁判のしくみ
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第1審
袴田事件を紹介するにあたり、日本の裁判のしくみを簡単に説明します。まず、裁判には民事裁判と刑事裁判があります。民事裁判は土地や金銭、離婚や仕事、ご近所トラブルなどを扱います。刑事事件は犯罪者に「刑罰」を下すための裁判です。袴田事件も当然「刑事裁判」です。

そして、裁判所も「地方裁判所」と「最高裁判所・高等裁判所」があり、原則的に刑事裁判は、まずは事件のあった場所にある地方裁判所で行われます。これが、第1審と呼ばれるものです。袴田事件の場合静岡県の事件なので静岡地方裁判所(静岡地裁)で争われました。

また、裁判官は1人の場合と3人の場合があります。いずれの場合も、裁判長は最高裁判所から派遣されます。袴田事件では3人の裁判官がいました。地方裁判所の判決で有罪となった被告は、それに納得できなければ不服を申し立てて、最高裁判所や高等裁判所にもう一度裁判をしてほしいと申請する事ができます。

再審請求
有罪になりたくないからといって、ただ闇雲に再審請求できるものではありません。請求した側は、裁判の材料になるような新しい証拠を最高裁判所に提出し「もう一度裁判をするかどうか」を「裁判」するのです。

もちろん、再審請求は有罪となった場合の被告人側ではなく、無罪となった場合の警察側も行う事ができます。裁判の決定を覆すような証拠品が必要なため、再審請求が通るのは被告人にとっても警察にとっても「狭き門」となります。

袴田事件では、静岡地裁での第1審判決が事件から2年後に出ました。そこからすぐに東京高等裁判所に再審請求をしたのですが、再審の為の裁判が始まったのはその翌年です。再審請求が棄却されたのが7年後です。

棄却された翌日に今度は、最高裁判所にさらに再審請求をします。その後、何度も再審請求と棄却を繰り返し、事件から48年たってついに再審請求が通りました。つまり、袴田事件はまだ無罪判決を受けたわけではなく、裁判のやり直しが決定されただけにすぎないのです。

容疑者と被疑者と被告人と犯人
ドラマやニュースなどで、逮捕された人物を「容疑者」「被疑者」「被告人」と様々な呼び方がされます。これらの呼び方で、置かれた立場がわかります。

まず、警察から「この人がやったのではないか」と疑われている状態が「被疑者」です。昔のテレビや新聞では被疑者を呼び捨てにして報道していました。しかし、まだ疑われている段階で呼び捨てにしてしまうのはいかがなものかという風潮が現れ始め「◯◯容疑者」という表現を使うようになりました。

被疑者は、疑いをかけられた時点で呼ばれますが、容疑者はマスコミの発表用の言葉なので、逮捕される前の人物に使われる事は少ないです。そして、裁判が始まると「被告人」と呼ばれ、マスコミには「◯◯被告」と呼ばれます。そして、裁判で有罪判決が出て「犯人」となります。

勾留と拘留
勾留と拘留は、読み方はどちらもコウリュウですが、意味は全く違います。まず、手偏の方の拘留は、刑罰で犯人が刑務所に入れられている状態です。そして、勾留は被疑者や被告人が警察施設内にいる事で、被疑者は勾留所、被告人は拘置所に入れられます。

被疑者の勾留期間は10日間で、その後10日間まで延長ができます。一度の請求では10日間までですが、事件の複雑さや証拠収集の遅延など、正当な理由があれば何度も請求できます。取り調べの結果、疑いが晴れれば釈放されますが、被疑者が犯行を認めて自白すると、今度は裁判の為に拘置所へと入れられます。

裁判の結果無罪ならば釈放されますが、有罪ならば犯人となり刑罰に処されます。再審請求し、その審議をしている間は刑の執行中なので基本は釈放されません。裁判所が再審を決定し、勾留停止を決定して初めて釈放されるのです。

袴田事件の袴田さんは、2審が決定して48年間の勾留ののち釈放されました。これは、一度世界一長い間収監された死刑囚としてギネス記録に認定されましたが、本人の不本意による不名誉な記録なので後に取り消されています。

袴田事件の冤罪は何故起きたのか
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刑事のプライド
事件を捜査するとき、刑事たちは現場の状況や証拠品から当日何が起こったのかを推測します。いわゆる「シナリオ」です。

袴田事件発生直後、現場を担当した清水署の刑事は「放火・殺人」の事案として調べていました。特に次女に対する刃物の刺し傷は執拗で「猟奇的」と表現していて、怨恨や痴情のもつれなどの人間関係のトラブルも視野にいれていました。

刑事の間では「49日過ぎて、犯人を見つけられないようでは刑事の面子が立たない」言われています。2ヶ月近く経ってもまだ迷宮入りでは、遺族の方にも申し訳がたたないという意識もあります。

袴田事件は静岡県内でも大きな事件で、これが迷宮入りとなっていしまっては警察の沽券にもかかわります。なので、早くから県警から腕利きの刑事が派遣され指揮をとったのです。

捏造される袴田事件のシナリオ
静岡県警は、まず現金の入っているいくつかの小袋のうち、8万円と書かれた袋の中身が無い事に着目してシナリオに「強盗」を加えました。しかし、被害者宅にはもっと多くの現金や高価な金目のものがあるにも関わらず、無くなっている金品はそれだけだったのです。

けれど、袴田事件当日が給料日だった事もあり、現金が被害者宅にあると知っている会社従業員の仕業だろうとしました。

そこで、静岡県警は袴田事件の被害者の周辺人物を捜査しました。その時の袴田さんの捜査報告書には「虚言癖がある」「女癖が悪い」「お金に困ると服を質屋に入れる」「勤務態度が悪い」とし、従業員の中では一番疑わしいとされました。

しかし、この情報に対して裏付け調査をどう行って事実確認をしたのかは残っていません。また後年になってあるジャーナリストが取材したところ、そういった事実はありませんでした。

袴田事件証拠発見!そして取り調べへ……
袴田事件当初から袴田さんを犯人として調査していた県警は、袴田さんの部屋からパジャマを押収。これを被害者の血液だとして袴田さんを逮捕しました。当時の新聞には「捜査本部の大量の血痕のついたパジャマと作業着を押収」と報道されましたが、実際についていたのは小さなシミで、血のついた作業着もありませんでした。

県警は「パジャマ姿で犯行に及んだ」というシナリオを描いたのです。そして袴田さんを袴田事件の容疑者として逮捕したのです。しかし、この証拠は約1年後、無かった事にされます。(後述)

さらに、袴田さん本人によると、パジャマは袴田事件当日に着て寝ていたもので、火事に気づいて消火活動を手伝うために飛び出しました。同じく、消火活動をしていた従業員も、パジャマ姿のままずぶ濡れになっている袴田さんを目撃しています。

拷問王、紅林の弟子
静岡県警には、紅林麻雄という警部がいました。数々の難事件を解決に導いた名刑事でしたが、一方で無実の人物から拷問で自白を引き出し、多くの冤罪を生んだ恐怖の警部で、「拷問王」と恐れられていました。

事件名 発生年 再審決定 無罪判決
幸浦事件 1948年 1957年 1963年
二俣事件 1950年 1953年 1957年
小島事件 1950年 1956年 1958年
島田事件 1954年 1986年 1989年
紅林は、容疑者から自白を引き出す拷問考えては部下に実行させていました。しかも、二俣事件では真犯人と思われる人物から賄賂を受け取った疑いまであるのです。

しかし、上記の事件で次々と再審が確定し無罪となるについて、世間や警察内部のバッシングを浴び、幸浦事件の無罪判決が言い渡された1963年7月に辞職します。その三ヶ月後に脳溢血で他界しました。

袴田事件が起こったのは紅林が退職してから三年です。袴田事件の取り調べを担当したのは、拷問王紅林から直接手ほどきを受けた刑事だったのです。

地獄の20日間
袴田さんは毎日、短くても7時間、長い時には16時間以上取り調べを受け、途中に休憩は与えられず、「自白すれば休ませてやる」と言われました。トイレに行きたいと言えば今度は取り調べ室におまるを持ち込まれ、刑事たちの前で用を足すという屈辱を与えられます。

ようやく取り調べが終わり留置所に戻されても、今度はわざと隣の部屋に酔っぱらいを入れたに、大声を出して脅すなどをして、十分に睡眠する事を許しませんでした。取り調べ中の容疑者は弁護士を呼ぶ権利がありますが、袴田さんの弁護士との接見は取り調べ期間中わずか3回。各10分ほどしか与えられなかったのです。

元プロボクサーといえど拷問王の直弟子の取り調べには耐えられず、つい自由になりたくて嘘の自白をしてしまいました。

袴田事件の犯行動機は何?
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取り調べ中に二転三転する袴田事件の動機
後に袴田事件担当の弁護士が入手した取り調べ報告書には「袴田が犯人にまちがいない。犯人と思い込ませて自白させろ」と書かれていたと言います。やってもいない事を自白させられたため、その内容がコロコロと変わります。

最初は、被害者である専務の奥さんと不倫関係にあり、奥さんから強盗に見せかけて家を焼いて欲しいと頼まれたからと言っていました。しかし次の日には、不倫が専務にバレて専務と話をつけようとして殺してしまったと言っています。

どちらにせよ、一家4人を惨殺する動機には不自然なものに思えます。そして、次の日に語った「母と子ども三人で暮らすアパートを借りるお金が欲しかった」と述べました。警察は、この一応は合理性のある犯行動機を「採用」する事になります。

不自然な犯行動機
袴田事件の犯行動機が、前述の通り「母と子と三人で暮らすアパートを借りるお金」としましょう。袴田事件当時、確かに袴田さんは結婚していて奥さんとは別居中でした。そして、子どもを引き取って実家に預けていたのです。

決して高くない給料で、子供を養うのは大変だったというのは事実でしょう。しかし、勤めていた味噌会社はそうした生活が苦しい社員も多く、給料の前借り制度がありました。

さらには、袴田事件の2ヶ月ほど前から袴田さんのお父さんは病気で倒れて寝たきりとなり、なんと袴田さんのお母さんは寝たきりのお父さんを残して家を出ていたのです。とうてい「息子と孫と一緒に暮らす」事ができる状況ではないでしょう。なので「母親と暮らす」というこの動機もかなり不自然であると言えます。

犯行計画の矛盾
袴田事件の判決文には袴田さんは「金品を盗むために侵入し、もし見つかったら刃物で脅してでも盗むつもりだった」とあります。一見何の矛盾もありませんが、袴田事件当時の袴田さんと被害者家族の関係を考えると非常に不自然です。

まず、袴田さんは被害者である専務のいるみそ会社で働いていました。当然専務と奥さんとは顔見知りです。それどころか、食事は日頃専務宅で食べていたので、娘や息子とも顔見知りなのです。

となると、一目見れば家族の誰もが袴田さんだと判ってしまうのですから、絶対に見つかってはいけないはずです。けれど、袴田さんの自白にも袴田事件犯行時のものと言われる服にも「顔を隠すためのマスク」などは出てきていません。

見つかってしまえば、たとえ刃物で脅しその場から逃げられたとしても、即行で通報されるのがオチです。だからもし、本当に袴田さんが金品を盗もうとしたら、家に誰もいない時間帯を狙うはずで、袴田さんはその時間を十分に知ることが出来る関係性なはずです。

そもそも盗んだお金はどこに行った?
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被害額は8万円
袴田事件は、金品目的の殺人事件だとすると、そもそも盗んだのはたった8万円。専務宅にはもっと多額のお金や高価な品物の数々があったのに、それには手をつけていない事は不自然です。しかも、袴田さんが自白した現金8万円を手にした状況も犯行動機と同じようにコロコロと変わります。

初めは、不倫関係だった奥さんとの話し合いの末口論になり、8万円が入った袋ごと叩きつけられるように渡されたと言っていました。

しかし、犯行動機が金品目的に変わると今度は「8万円が入った袋から抜き取った」としています。殺人を犯してまで手に入れた「現金8万円」はどうなったのでしょう。実は、裁判では全く引き合いに出されていなかったある事件がありました。

袴田事件容疑者逮捕前に見つかった黒財布
袴田事件発生から12日後、袴田さんが逮捕される前に袴田事件が強盗目的であるという事が覆るような重要な物証が見つかっています。富士急バスの車内に落ちていた黒い財布が、警察署に届けられました。

財布の中には82325円の現金と、折りたたまれたハガキがありました。そのハガキはいわゆるDM、なんと袴田事件被害者のみそ会社がお客さんに当てる案内状だったのです。

まだ、袴田事件の容疑者が誰かも分からず、盗まれた現金の金額も発表されていませんでした。なのでこれは袴田事件の重要な手掛かりとして新聞にも大きく取り上げられ、財布やハガキの写真も載っています。

そこには「6月30日に事件はあったが工場は無事だったので7月から営業を再開します」と印刷されていて、宛名欄には誰の氏名も書かれてはいませんでしたが毛筆で「ヨウゲン」という謎の文字が書かれていました。

5万円を預かった女性
しかし、この黒い財布は、袴田事件の裁判中一切言及されませんでした。その代わり、裁判中で採用されたのは袴田さんの「5万円を知り合いの女性に預けた」という自白でした。20日間の取り調べの末に袴田さんが自白したのは9月6日でしたが、その1週間後に「イワオ」と書かれた差出人不明の清水警察署長宛の封筒が郵便局内で発見されました。

封筒の中には「ミソコウバノボノカバンノナカニシラズニアツタツミトウナ」という手紙と共にナンバーが焼かれた5万700円の現金が入っていたのです。警察は、筆跡鑑定の結果、袴田さんと同じ工場で働いていた元同僚女性を「窃盗品保管の容疑」で逮捕しました。女性は盗んだお金だと知って、匿名で警察に送った事になっています。

しかし、筆跡鑑定方法は疑わしく、裁判でこの女性はお金を受け取った事を否定しています。

袴田事件では何を凶器に使ったか
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出典: http://www2.odn.ne.jp/mandaraya/10-3.htm
使われたのは本当にくり小刀なのか
袴田事件の第1審判決文によれば、袴田さんは「くり小刀」と呼ばれる、柄の部分が手のひらほどしかない小さな刃物を握り締め、被害者たち4人を何度も何度も刺した事になっています。袴田事件の凶器とされるくり小刀は、現場検証をした警察が次女の遺体の足元に、刃だけの状態で真っ黒に焼け焦げて発見されています。

袴田事件の被害者の遺体に残る傷の状態は克明に記録されています。特に損傷が激しかった次女は、左胸の傷が心臓を貫通して背骨にまで達していました。遺体の傷の深さは14cmほど。しかし、くり小刀の刃渡りは12cmほどしかないのです。

しかも、その傷口の幅は1.2cmで、くり小刀は2.2cmもあります。その上、家族4人をメッタ刺しにして専務と次女は肋骨を刃物で切断されていたにもかかわらず、くり小刀は切っ先がわずかにかけていただけなのです。

袴田さんはくり小刀を買ったのか
袴田事件の凶器である「くり小刀」は、袴田事件の2,3ヶ月前に沼津の刃物屋で購入し、袴田事件発生後は部屋に隠していたと自白しました。この時点で、次女の足元に落ちていた状況からは矛盾がありますが、購入したとされる店の店員が、袴田さんに見覚えがあったということで凶器と断定されたのです。しかも、店員の証言も信用性があると言えるものではありませんでした。

店員は、まず警察の事情聴取の時に袴田さんの顔写真を一枚差し出され「見覚えがあるか?」ときかれました。店員は「見覚えがあるような気がするけど、分からない。私は普段家と店の往復しかしていないので、見覚えがあるとしたらお客さんという事なのかもしれない」と曖昧に答えています。

そして、裁判で証言台に立った時も「何かを売ったような記憶はあるが、それがくり小刀かはわからない」と答え、弁護士の質問にも「今までくり小刀を売ったお客さんの顔は全く覚えてない」と答えました。

袴田事件の犯人は何を着ていた?
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袴田事件の犯人が着ていた服はパジャマ?5点の衣類?
袴田事件では警察側は当初、袴田さんは「パジャマ姿で犯行に及んだ」としていました。しかし、袴田事件の裁判中、袴田事件から1年2ヶ月後に、袴田事件発生当時に念入りに調べたはずの味噌工場のタンクの中から5点の衣類が発見されました。その途端、警察側は「この5点の衣類を着用して犯行に及んだ」と主張を一点させたのです。

袴田さんが強要された自白でも「パジャマ姿で」と言っていて、鑑定結果でも血液の付着を確認し、いままでの裁判は全てこれを証拠としていました。普通ならこの時点で警察側の完全敗北で、自白も鑑定結果も捏造ということになり、袴田さんは無罪放免で終わります。

しかし、袴田事件を担当した裁判官はこの5点の衣類を袴田事件犯行時の服装だとした上で「袴田さんは犯行時の衣類について嘘をついた」として、裁判を続行したのです。

袴田事件の重要証拠となった5点の衣類
袴田事件の新たな証拠5点の衣類とは「ねずみ色のスポーツシャツ」「白い半袖シャツ」「緑色のブリーフ」「鉄紺色のズボン」「白いステテコ」です。これらの衣類から袴田事件被害者と同じ血液型の血痕がベッタリと付着していました。

しかし、袴田事件被害者の血液型は専務はA型、奥さんはB型、次女がO型で、長男がAB型なのです。ですからどの血液型が検出されようと、袴田事件被害者の血液型と一致するのは当たり前なのです。

そして、検出されたのは「A・B・AB型」で、O型は検出されていません。次女の遺体は特に刃物による損傷が激しいものでした。よって、次女の血液型であるO型が検出されないのはかなり不自然であると言わざるを得ません。

さらに不可解なのは、ブリーフから検出されたB型の血液が、ステテコとズボンからは検出されていないのです。袴田事件の犯人は専務と奥さんを襲った後、パンツ一丁で長男を襲い、次女は全裸で襲ったとでも言うのでしょうか。

5点の衣類は本当に袴田さんのもの?
警察側は5点の衣類のうち、スポーツシャツと半袖シャツとステテコについては袴田さんのものとは判断できませんでした。しかし、鉄紺色のズボンと緑のブリーフは袴田さんのものと断定し、同じ袋に入っていたのだから他の3点も袴田さんのものとしたのです。

ズボンとブリーフを袴田さんのものと断定した理由は、袴田さんの実家のタンスにズボンと同色の「ウェストのサイズ直しした時の端切れ」があった事。そして、袴田さんは元々緑色のブリーフを事件前から所有していた事からです。

しかし、袴田さんの私物は、袴田事件の容疑者として逮捕後に実家に送られています。日用品は拘置所にいる袴田さんに家族が差し入れています。そして、緑のブリーフは袴田さんのお兄さんが差し入れたものの、拘置所内の規則で色つきのものは禁止されているので送り返されました。

お兄さんは当然自分の保管している緑のブリーフを証拠として提出しましたが、「家族なので嘘をついて庇っている」として証拠品として認めてもらえませんでした。

履けないズボン
次に袴田さんは「袴田事件時に履いていたとされるズボンは、ウェストを直しているという事なので実際に履かせて欲しい」と訴えましたが、最初の裁判では履かせてもらえませんでした。そしてそのまま死刑判決を受けてしまい、不服申し立てをします。

裁判のやり直しを検討する裁判が行われて、その時には着用実験が3回行われました。そして3回とも、袴田さんにはウェストが小さすぎる事が判明しました。

それなのに、その裁判でも警察側の「90℃以上の熱で乾燥させれば縮む」という主張が通されてしまいました。弁護士は繊維の専門家に鑑定書を書いてもらい、その主張が無理があるという事を証明しましたが、裁判では却下されてしまいました。

死刑判決文を書いた熊本典道さんの懺悔
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無罪と確信していた裁判官
しかし、警察側や裁判官たち全員が、この数々の疑問の残る証拠品から袴田さんを有罪判決にしたわけではありませんでした。袴田事件の第1審を担当した3人の裁判官の1人である熊本典道さんは当時29歳で、裁判で決定した判決文を書く役割でした。

熊本さんはまず、裁判が始まってから一貫して無実を主張し口を閉ざす袴田さんの態度にも疑問を持ったのです。熊本さんの経験上、罪を犯しておきながら無罪を主張する犯罪者はもっと喋るはずだと感じていたからです。

そこで「あなたは袴田事件の犯行を自白したのに、なぜ無罪を主張するのですか」と超ど直球な質問しました。すると袴田さんは「自白を強要されたからです」と即答したのです。

熊本さんは、もう一度取り調べの報告書を確認します。すると今まで紹介したような数々の矛盾点を発見したのです。

握りつぶされた熊本裁判官の主張
まず、取り調べ報告書では、犯行動機や状況が二転三転したり、取り調べ中に休みが無かったことで、本当に極限まで追い詰められたのではないかと感じました。次に、証拠品に対しての疑問も裁判中に発言しています。

「パジャマが袴田事件の時の服装なら、もっと血がついてないとおかしくないですか」「こんな小さなナイフで4人も殺害できるわけがない」と主張を続けます。そして、ついに5点の衣類が出てきたのです。この瞬間熊本さんは無罪を確信します。しかし、もう一人の裁判官はこの5点の衣類を有力な証拠とし、有罪を主張しました。

無罪にするか有罪にするかの話し合いは、合議と呼ばれ、別室で行われます。そして、そこで何にあったかは秘密にしなければならない義務があります。その合議で裁判長は、裁判官の多数決で決めようと言い出しました。熊本さんは当然無罪に挙手しました。もう一人は、有罪に挙手し、裁判長は有罪に挙手したのです。袴田事件の判決は多数決で決められてしまいました。

無理やり書かされた判決文
袴田事件の判決が多数決で決まった瞬間、裁判長は熊本さんに「判決文を書いてください」と命じます。それに対して熊本さんは「できません」と抵抗しました。しかし裁判所のルール上書かないわけにはいきません。熊本さんは、悔しさを滲ませながら袴田事件の死刑判決文を書きました。

しかし、せめてもの抵抗に「袴田事件の自白は拷問で無理やり引き出したものである。このような事は二度とあってはならない」という、死刑判決文にあるまじき文を書き足したのです。

熊本さんは、袴田事件で再審請求されたときにこの判決文に疑問を持ってもらいたい。そして、死刑判決を覆して貰いたいと思ったと後に語りました。しかし、その思いは届かず、何度も再審請求が棄却されたのは前述の通りです。

熊本さんのその後
熊本さんは、その後裁判官をやめて弁護士となります。それでも、袴田事件の死刑判決をしてしまった事を悔やみ続け「無実の人間を死刑にしてしまった。殺人と同じだ」とお酒に溺れるようになってしまいます。やがて弁護士もやめ、家族もバラバラになってしまい、熊本さんは自暴自棄の生活を繰り返していました。

しかし、その後転機が訪れます。「このまま死んでしまいたい」と考えていたある日、ある少年の死で嘆き悲しむ家族を見たときに「私がやるべきことは、死ぬことではない。袴田さんを救う事だ」と決心しました。

そして、袴田事件から41年が経った2007年、弁護団が何度目かの再審請求した時に「合議の秘密」の義務を破って死刑判決文を書いた経緯を告白をします。そして、2014年、袴田事件から48年経ってようやく再審が決まり、袴田さんは釈放されたのでした。

袴田事件の真犯人は誰?
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真犯人は一体どこに?
袴田事件の犯人が袴田さんではない以上、真犯人別にいる事になります。袴田事件の真犯人はこの48年の間どこで何をしていたのでしょうか。しかし、袴田さんの裁判のやり直しをしても、真犯人は捕まる事は永遠にありません。袴田さんが有罪か無罪かを争っているうちに、袴田事件は発生から15年経ってしまい、時効が成立してしまったからです。

2010年に、殺人事件など死刑にあたる事件の時効は撤廃されましたが、これは2010年の施行時点で時効が成立していない事件に限られます。袴田事件の犯人はこのまま逃げ切ってしまうのでしょうか。袴田事件の真犯人は、被害者の命だけでなく、遺族や袴田さん、そして袴田さんの48年の歳月を奪っておいて、今もどこかでのうのうと笑っているでしょう。

警察関係者説
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大きく報道されたにも関わらず、迷宮入りとなってしまった事件は、警察関係者が犯人ではないかとよく噂されています。袴田事件も例外ではありません。警察側は調査の時点ですぐに袴田さんを犯人と決めつけ、疑問を挟む事もありません。

裁判官ですら一人を除いて自白の強要や証拠品の矛盾点を問題にする人はいなかったのです。ここまで常軌を逸脱した調査や裁判なのですから、袴田事件は警察と司法がグルになって、国家ぐるみの隠蔽工作をはかり、袴田さんに罪をなすりつけようとした、と考える人もいました。

また真犯人でなくても、袴田事件に関与した警察や裁判官は冤罪で無実の人間を苦しめたのだから、罰せられるべきだと考える人もいます。しかしこれは、実際に罰する事は難しいでしょう。

何故なら警察は元々容疑者を無罪にする為に調査する機関ではないからです。それに、袴田事件関係者は既に亡くなった方も多いので、袴田さんの無罪が確定し警察関係者を告訴するまではさらに時間もかかるでしょう。

長女(橋本昌子)説
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袴田事件の被害者は、静岡県の味噌会社の専務一家です。一家は専務とその妻、二人の娘と一人息子の5人家族でした。袴田事件から数年前。当時高校2年生だった長女(橋本昌子さん)に彼氏ができます。相手は父の会社の従業員です。昌子さんは彼氏に夢中になり、学校にもいかなくなってしまいました。

昌子さんは高校を退学させられ、両親から勘当されてしまいました。そして、祖父の家に住んでいたのですが、袴田事件の当日、たまたま家に帰って来ました。そして、体調が悪かったので、日当たりの良い離れで一人休んでいました。離れには火は回ってこず、昌子さんは一人生き残り、多額の保険金を手にしたのでした。

この事から、真犯人は長女の昌子さんではないかと当時から噂されていました。

暴力団関係者説
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袴田事件の被害者の家族に、暴力団とトラブルがあったという噂があります。まず上の「長女説」にも繋がりますが、当時の長女の夫ないし彼氏が暴力団員だったという噂です。袴田事件の被害者の味噌工場の従業員が賭博を趣味にしていて、その賭博仲間に暴力団員がいたという噂です。

そして、袴田事件後に味噌会社の合併を持ちかけた会社は暴力団のもので、袴田事件の被害者である専務と、その父親である社長との間の、会社を巡るトラブルに以前から関わっていたという噂があります。

袴田事件は強盗殺人放火事件ですが、その殺害方法が単なる強盗目的で侵入しうっかり殺してしまったような殺害方法ではなく「殺すこと」そのものを目的としているような殺害方法なので、一般人ではなく暴力団員のような特殊な人であると考える人もいます。

複数犯説
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袴田事件のこれらの犯人説を統合して、以下のようなストーリーを提唱する人もいます。まず、長女と従業員が交際していたが、長女は勉強に手がつかなくなり高校を退学。両親は、長女を勘当します。ですが、まだ交際自体は続いていました。しかし、従業員は賭博で借金が膨らみ、会社の金を横領してそれが専務にバレました。

従業員は暴力団に相談します。暴力団は、以前から味噌会社を狙っていたので協力して一家4人を殺害。次女は、頭が良く両親からも期待されていた為に姉から嫉妬されていた。次女の損傷が特に酷かったのは、姉自身か姉の指示があったから。さらに、警察に賄賂を握らせて袴田さんを犯人に仕向けさせた、と言うのです。

いずれにせよ、袴田事件の真相は長女が握っているとも言われます。では、長女は今どうしているのでしょう。

袴田事件その後
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釈放後の袴田さん
袴田事件の容疑者とし勾留されていた袴田さんは、48年もの間毎日死刑の恐怖と戦っていました。何度も再審請求をしても却下され、ついに精神を病んでしまったのです。ストレスにより、幻覚や幻聴に悩まされ、現実逃避のような妄想が見られました。

これは「拘禁反応」と呼ばれるもので、長い間監禁され、自由を奪われた人が陥りやすい精神状態なのです。釈放される20年以上前からこの症状が見られ、以降の再審請求はお姉さんが代理で行なっていました。

袴田さんは、釈放後はお姉さんの元に身を寄せましたが、表情はなく会話もなかったのですが、徐々に挨拶をするようになったり、表情も豊かになり、一人でも買い物に行けるまで回復しました。しかしまだ「オレはハワイの王族だ」「世界チャンピオンだ」というように会話が噛み合わない事もしばしばあります。

袴田事件の長女の不可解な死
袴田事件の再審が決定し、2014年3月27日に東京最高裁判所は袴田さんの拘留停止を決定しました。そしてその翌日の28日、袴田事件被害者家族の長女である橋本昌子さんが自宅にて遺体で発見されました。警察署の発表では、事件性は低く病気によるものだと言われています。

しかし、そのあまりにもタイミングの良い訃報に、自殺ではないかとか、真相を知っているために警察や仲間の暴力団に殺されたのではないのかとも噂されています。特に警察は、袴田さんを取り調べるときに「今ここでお前が死んでも、病気で死んだと言えばいい」と言って脅したとも言われています。

橋本昌子さんは真犯人なのか、真犯人を知っていたのか、今はもう知る術はありません。もしも、本当に彼女が橋本事件当日に家にいたのは偶然が重なっていただけで、何も知らなかったとしたら、彼女もまた48年間を孤独に生きた事件の被害者なのです。

袴田さんの支援者たち
現在、袴田さんの無罪獲得に向けて多くの人が支援をしています。

日本弁護士連合会による「袴田弁護団」をはじめ、清水・静岡市民による市民会や、社会評論家の呼びかけて芸能や出版の著名人が集まった「袴田巌さんを救う会」、袴田さん釈放時に名誉チャンピオンに任命した日本ボクシング協会、そして袴田事件担当の裁判官だった熊本さんもブログを開設し、袴田さんへの支援を呼びかけています。

最大の冤罪事件「袴田事件」はまだ終わらない
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出典: 無料の写真: 判例法, 正義の女神, 正義, 右, 裁判所, スケール, 剣 - Pixabayの無料画像 - 677940
袴田事件は、静岡県のある一家4人の命を奪い、一人の男性の48年間を奪った恐るべき事件でした。しかし、まだ終わったわけでもありません。1966年にあった袴田事件の裁判のやり直しが決定したにすぎないのです。裁判の結果によっては、袴田さんは再び死刑囚として刑務所に入れられてしまうでしょう。

弁護団は、必死に無罪の証拠固めをしています。一方警察側も必死です。警察も裁判所も本来は「正義」であるべき機関です。正義の名のもとに犯罪者を逮捕したのですから、裁判のやり直しが行われること自体が、警察や裁判のあり方を問われる事で、信念のある警察官や裁判官なら不名誉な事でしょう。

しかし、袴田事件には警察や裁判官に「正義」はあったのでしょうか。袴田事件から50年以上も経過し、関係者には既に他界してしまった方もいて、中には熊本元裁判官のように立場上無罪と言えず告白もできなかった人もいたでしょう。

今こそ「冤罪とは何か」「正義とは何か」を考える時がきたのです。50年以上前に起こった袴田事件はこれからが本当の始まりであると言えます。


 引用元:https://uranaru.jp/topic/1009123
袴田事件とは(Wikipedia)

袴田事件4

袴田事件(はかまだじけん)とは、1966年(昭和41年)6月30日に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生した強盗殺人放火事件、およびその裁判で死刑が確定していた袴田巌元被告が判決の冤罪を訴え、2014年3月27日に死刑及び拘置の執行停止並びに裁判の再審を命じる判決が(即時抗告審での審理中のため未確定)なされた事件。日本弁護士連合会が支援する再審事件である。

経過
1966年6月30日 - 「有限会社王こがね味噌橋本藤作商店」(「株式会社王こがね味噌」を経て1972年から株式会社富士見物産)専務の自宅が放火された。焼跡から専務(41歳)、妻(38歳)、次女(17歳)、長男(14歳)の計4人の他殺死体が発見される。一家の中では別棟に寝ていた19歳の長女(一家から勘当されて家を出ていたが、当日は久しぶりに家に戻っていた)が唯一生き残った。
1966年7月4日 - 静岡県清水警察署が味噌製造工場および工場内従業員寮を捜索し、当時「王こがね味噌」の従業員で元プロボクサーの袴田巖の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収。
1966年8月18日 - 静岡県警察が袴田を強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕。
1966年8月19日 - 取調べ(3回 計10時間30分)
1966年8月20日 - 取調べ(3回 計7時間23分)
1966年8月21日 - 取調べ(2回 計6時間5分)
1966年8月22日 - 取調べ(6回 計12時間)
1966年8月23日 - 取調べ(3回 計12時間50分)
1966年8月24日 - 取調べ(3回 計12時間7分)
1966年8月25日 - 取調べ(4回 計12時間7分)
1966年8月26日 - 取調べ(3回 計12時間26分)
1966年8月27日 - 取調べ(3回 計13時間17分)
1966年8月28日 - 取調べ(3回 計12時間32分)
1966年8月29日 - 取調べ(5回 計7時間19分)
1966年8月30日 - 取調べ(4回 計12時間47分)
1966年8月31日 - 取調べ(3回 計13時間18分)
1966年9月1日 - 取調べ(3回 計13時間18分)
1966年9月2日 - 取調べ(4回 計9時間15分)
1966年9月3日 - 取調べ(2回 計9時間50分)
1966年9月4日 - 取調べ(3回 計16時間20分)
1966年9月5日 - 取調べ(3回 計12時間50分)
1966年9月6日 - 取調べ(3回 計14時間40分)。犯行を頑強に否認していた袴田が勾留期限3日前に一転自白。
1966年9月9日 - 静岡地検が強盗殺人罪、放火罪、窃盗罪で起訴。
1966年11月15日 - 静岡地裁の第1回公判で袴田が起訴事実を全面否認。以後一貫して無実を主張。
1967年8月31日 - 味噌製造工場の味噌タンク内から血染めの「5点の衣類」が発見される。
1968年9月11日 - 静岡地裁が死刑判決[1]。
1976年5月18日 - 東京高裁が控訴を棄却。
1980年11月19日 - 最高裁が上告を棄却[2]。
1980年11月28日 - 判決訂正申立。
1980年12月12日 - 最高裁が判決訂正申立棄却決定送達。死刑確定。
1981年4月20日 - 弁護側が再審請求。
1994年8月9日 - 静岡地裁が再審請求棄却(決定書日付は8月8日)。
1994年8月12日 - 弁護側が即時抗告。
2004年8月27日 - 東京高裁が即時抗告棄却(決定書日付は8月26日)。
2004年9月1日 - 弁護側が最高裁に特別抗告。
2008年3月24日 - 最高裁で棄却。第一次再審請求終了。
2008年4月25日 - 弁護側が静岡地裁に第二次再審請求。
2010年4月20日 - 衆参両院議員による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」設立総会を開催。
2010年8月24日 - 袴田巌死刑囚救援議員連盟が「袴田死刑囚は心神喪失状態にある」として、法務大臣千葉景子に刑の執行停止を要請した[3]。
2011年1月27日 - 日本弁護士連合会が、妄想性障害等を理由として、刑の執行停止と医療機関での治療を受けさせるよう法務省に要請した[4]。
2011年2月11日 - 法務大臣千葉景子の指示の下、法務省は袴田を含む複数の死刑囚を対象に精神鑑定などを実施したが、袴田については「執行停止の必要性は認められない」との結論に達していたことが明らかになった。
2011年8月 - 第二次再審請求審において、静岡地裁は事件当日にはいていたとされるズボンの他、5点の衣類の再鑑定をすることを決定。
2014年3月27日 - 静岡地裁(村山浩昭裁判長)が再審開始と、死刑及び拘置の執行停止を決定した。袴田は同日午後に東京拘置所から釈放された[5]。静岡地検は東京高裁に拘置停止について抗告を申し立てるが、高裁は28日、拘置停止決定を支持し抗告を棄却。31日、静岡地方検察庁が再審開始を認めた静岡地裁の決定を不服として即時抗告[6]。
2014年3月28日 - 午後6時頃、生き残っていた被害者一家の長女が亡くなっているのが自宅で発見された。満67歳没[7]。
2014年8月5日 - 抗告審理で、弁護士側の証拠開示要求に対して、静岡地方検察庁が一審当時から「存在しない」と主張し続けて来た、袴田有罪の証拠「5点の衣類の写真」のネガフィルムが、実際には静岡県警察で保管されていた事が判明[8]。
2018年6月11日 - 即時抗告審で、東京高裁は、静岡地裁決定を取り消し、再審請求を棄却した。[9]。
元被告人の現況
袴田は30歳で逮捕されて以来2014年3月27日まで45年以上にわたり東京拘置所に収監拘束された(これは「世界最長収監」としてギネス世界記録に一時認定されていた[10])。

死刑確定後は、精神に異常を来しはじめ、親族・弁護団との面会にも応じない期間が長く続いた。その後は面会には応じるものの、拘禁反応の影響による不可解な発言が多く、特に事件や再審準備などの裁判の話題については全くコミュニケーションが取れなくなっていた。このため、2009年3月2日より、袴田の姉が保佐人となっている。

袴田は近年、獄中にて拘禁反応に加えて糖尿病も患っている事が判明している。なお、2014年3月27日の釈放後、袴田は都内の病院に入院していた際、拘禁反応については回復の傾向があり、糖尿病も深刻な状況ではないと診断された[11]。同年5月27日、48年ぶりに故郷の静岡県浜松市に帰り、市内の病院に転院した[12]。

裁判の主な争点
自白は強要されたものか。
任意性に関する争点 : 自白調書全45通のうち、裁判所は44通を強制的・威圧的な影響下での取調べによるもの等の理由で任意性を認めず証拠から排除したが、そのうちの2通の調書と、同日に取られ唯一証拠採用された検察官調書には任意性があるのかなど。
信用性に関する争点 : 自白によれば犯行着衣はパジャマだったが、1年後に現場付近で発見され、裁判所が犯行着衣と認定した「5点の衣類」については自白では全く触れられていない点など。
凶器とされているくり小刀で犯行は可能か。
逃走ルートとされた留め金のかかったままの裏木戸からの逃走は可能か。また、可能だとして警察の示した写真が捏造されたものかどうか。
犯行着衣とされた「5点の衣類」は犯人である証拠か、警察の捏造か。弁護側は「サイズから見て被告人の着用は不可能」、検察は「1年間近く、味噌づけになってサイズが縮んだ」と主張している。2011年2月、弁護側により、ズボンについていたタブのアルファベットコードはサイズではなく色を示しているとして、警察が誤認若しくは故意に事実を無視した疑いが指摘された[13][14]。袴田の実家を家宅捜査した際に犯行着衣と同じ共布を発見。これが犯行を裏付ける証拠として採用された。2010年9月に検察が一部開示した証拠を弁護側が検証したところ、共布発見の8日前と6日後の2度に渡り、捜査員がズボン製造元から同じ生地のサンプルを入手していたことが判明。弁護側はこの不自然な行動に「実家からの発見」を偽造した可能性があるとして2枚のサンプルの開示を要求、「検察側が示せないなら捏造の根拠になる」と主張している。
取調べ・拷問
袴田への取調べは過酷をきわめ、炎天下で1日平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせる等した。

睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせる等して一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限がせまってくると取調べはさらに過酷をきわめ、朝、昼、深夜問わず、2、3人がかりで棍棒で殴る蹴るの取調べになっていき、袴田は勾留期限3日前に自供した。取調担当の刑事達も当初は3、4人だったのが後に10人近くになっている。

これらの違法行為については次々と冤罪を作り上げた事で知られる紅林麻雄警部の薫陶を受けた者たちが関わったとされている。

再審について
袴田はすでに死刑判決を受けているが、同時に弁護人によって再審請求もしている。この再審とは、日本の三審制の裁判制度の中で、「重大な証拠」が新たに発見された場合などに、もう一度裁判をやり直すといった制度である。 しかし、上述した通り日本は三審制を導入しており、証拠が新たに出てきたからといってその都度再審をしていては三審制の本来の意図を侵害してしまうため、事件の真相を根本的に覆すような「重大な証拠」が新たに発見されたとしても、再審はなかなか認められるものではない。 特に日本は再審制度のある国の中でも、裁判所が再審を認める確率が突出して低く、日本全体を見ても年平均わずか2件程度で、日本の再審制度は俗に「開かずの扉」とも呼ばれているほどである。

第二次再審請求
袴田は2008年4月に、2回目の再審請求をしている。その後、足利事件や布川事件などにおいて、かねてから冤罪が疑われていた判決確定後の裁判に対し、再審が認められて立て続けに冤罪が確定した。これを機に、国民の冤罪に対する関心は高まり、検察は2013年3月、4月、7月と続いて当時の一部の証拠を開示した。また、同年11月には、事件当時、袴田の同僚が袴田のアリバイを供述していたにも関わらず、検察は袴田が犯人であるかのような供述に捏造していた事実が発覚し、加えて12月には被害者が当時着用していた5点の衣類に付着している血液が袴田のものではないことも、最新技術を使った弁護団のDNA鑑定によって明らかとなった。これらは裁判が開始して以来最大の変動でもあり、「重大な証拠」として再審が認められる可能性を大きく持った。2013年12月に、メディアでは「2014年の春頃には再審の可否判断がされるだろう」との予想が新聞各紙にわたって掲載、同時に各ニュース番組でも報道された。そして2014年3月27日、静岡地裁で再審が認められ、さらに死刑と拘置の執行の停止を決定、袴田は釈放された。これに対し静岡地検は東京高裁に即時抗告。2018年6月11日、東京高裁は静岡地裁の決定に対し「地裁が認めたDNA鑑定の結果には科学的疑問が存在し、証拠として信用できない」として再審請求を棄却。弁護側は最高裁に特別抗告する見込みで、再審開始の判断は最高裁に委ねられることとなった。なお、死刑と拘置の執行停止については「袴田の年齢や生活状況等を鑑み、釈放の取り消しが相当とは言い難い」として維持している。[15]。

検察側の証拠捏造疑惑
第2次請求審では、犯人が着ていたとされたシャツに付いた血液のDNA型が袴田元被告と一致しないとの鑑定結果が出た。村山裁判長は決定理由で、DNA鑑定結果を「無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当する」と評価。事件の1年余り後に発見され、有罪の最有力証拠とされたシャツなどの衣類について「捜査機関によって捏造された疑いのある証拠によって有罪とされ、死刑の恐怖の下で拘束されてきた」と指摘した[16]。

毎日新聞(荒木涼子)は、このことに加え、以下のような検察側の証拠捏造の疑惑を示唆した。1970年代にあった控訴審での着用実験で、(使用していたとされる)ズボンが袴田には細すぎて履くことができなかった。だが、検察側は「タグの『B』の文字は84センチの『B4』サイズの意」などと言い張り、確定判決でもその通り認定された。しかし、これは捏造とも言える主張だった。「B」についてズボン製造業者が「色を示す」と説明した調書の存在が、今回の証拠開示で明らかになった[17]。

裁判の問題点
最高検察庁の検事として袴田事件の審理を担当した、竹村照雄は、地検に眠っている証拠を「もう一回分析することはしなかった。その前の段階で有罪だと思っているから。 改めて無罪のこと(証拠)をほじくることはない」と述べた。証拠の全体像を知るのは検察側だけで、何を裁判に出すかは検察の裁量に任されており、今の裁判員が始まる前の制度では、検事、検察官は、被告人を有罪するのに最も適切な証拠だけ出せばよく、それ以外の証拠は一切見せなくていい、という問題点が指摘されている[18]。

NHK解説委員の橋本淳は、「(死刑判決を書いた裁判官の)熊本さんは7年前、守秘義務を破って異例の告白をしました。この中では、警察の厳しい取り調べで、袴田さんがうその自白を強いられたと見ていたこと、無罪にしようとしたが、ほかの裁判官を説得できず、心ならずも死刑判決を書いたことを明らかにしました」と指摘した[19]。

週刊現代は、袴田事件裁判にかかわった裁判官・刑事・検事を実名であげ、その裁判の不当さを批判した[20]。裁判所が警察・検察とグルになって、袴田さんを殺人犯に仕立て上げた構図が浮かび上がる、と表現している。

支援の動き
1979年 - ルポライターの高杉晋吾が事件の冤罪性を指摘した記事を『現代の眼』に掲載し、死刑確定後に支援組織「無実のプロボクサー袴田巌を救う会」(現「無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巖さんを救う会」)を設立する。
1981年から日本弁護士連合会(日弁連)が人権擁護委員会内に「袴田事件委員会」を設置し弁護団を支援する。
1991年3月11日 - 日本プロボクシング協会(JPBA)の原田政彦会長(=ファイティング原田)が、後楽園ホールのリング上から再審開始を訴え、袴田支援を正式に表明する。
2006年5月 - 東日本ボクシング協会が会長輪島功一を委員長、理事新田渉世を実行委員長とする「袴田巌再審支援委員会」を設立する。同委員会はボクシングの試合会場(後楽園ホールなど)で袴田の親族、弁護団所属の弁護士や救援会関係者らとともにリング上から早期再審開始を訴えたほか、東京拘置所への面会やボクシング雑誌の差入れなどを行った。
2006年11月20日 - 輪島を始め5名の元ボクシング世界チャンピオンらが、早期再審開始を訴える約500筆の要請書を最高裁に提出する。
2007年2月 - 一審静岡地裁で死刑判決に関わった熊本典道が、「彼は無罪だと確信したが裁判長ともう一人の陪席判事が有罪と判断、合議の結果1対2で死刑判決が決まった(下級裁判所の合議審では各裁判官の個別意見を書くことは認められず、判決文は形式上、全会一致の体裁で作成しなければならない)。しかも判決文執筆の当番は慣例により自分だった」と告白。袴田の姉に謝罪し再審請求支援を表明する。なお、熊本がこれらの告白を行ったのは、熊本に死刑判決の判決文の作成を指示した当時の裁判長ともう一人の陪席判事が死亡した後であった。また、熊本自身は判決言い渡しの7ヵ月後、良心の呵責に耐えかねて裁判官を辞職し、弁護士に転職した旨を語っている。
2007年6月25日 - 熊本が袴田の再審を求める上申書を最高裁に提出。
2008年1月24日 - JPBA、後楽園ホールで支援チャリティーイベント「Free Hakamada Now!」を開催[21]。日本ボクシングコミッションが袴田に対し名誉ライセンスを贈呈する。
2008年 - 人権団体「拷問の廃止を目指して行動するキリスト者」(ACAF、Aktion der Christen fuer die Abschaffung der Folter)が、袴田のための署名活動を国際的に展開する。また死刑制度そのものに反対するアムネスティ・インターナショナルも釈放を求めている。袴田がカトリックの洗礼を獄中で受けたために、日本ではカトリックの司教などが再審の署名集めに尽力してきた。
2011年1月27日 - 日弁連は江田五月法相に対して袴田が長年の拘禁で妄想性障害にあり、刑の執行停止が認められる心神喪失の状態だと判断し刑の執行停止と、精神疾患の治療を指示するよう勧告した[22]。
2011年3月10日 - 袴田が「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス世界記録に認定された。認定期間は、第一審の静岡地裁で死刑判決を受けた1968年9月11日から2010年1月1日までの42年間である。死刑確定後の拘置期間としてはマルヨ無線事件・名張毒ぶどう酒事件・ピアノ騒音殺人事件の死刑囚の方が長いが、第一審の死刑判決から「死刑囚として拘束」され続けているとして、袴田が最長と認定された[23]。
2012年5月19日 - JPBA、後楽園ホールのリングサイドに袴田の早期再審開始と釈放を祈り「袴田シート」2席を設置。この日は「ボクシングの日」でもある。
2014年1月 - 世界ボクシング評議会が名誉王座を認定し、釈放された場合はチャンピオンベルトを授けることを決定[24]。14日、静岡地裁に7万4千筆、静岡地方検察庁に4万2千筆の、速やかな再審開始を求める署名(ビタリ・クリチコも賛同)が提出され、八重樫東も立ち会う[25]。
2014年4月 - 週刊現代が当時の捜査関係者(捜査員、検察官)と、死刑判決を出しまた上訴を棄却した裁判官全員の実名を公表。依願退官した熊本以外の全員が功成り名遂げ、叙勲された者もいる[26]。3日、NHKテレビ『クローズアップ現代』が静岡県警察・静岡地検による袴田有利な証拠の隠蔽・捏造問題を採り上げる[14]。木谷明が解説。
袴田巌死刑囚救援議員連盟
国会では、衆参両院議員による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」が発足し、2010年4月20日に設立総会を開いた[27]。民主党、自由民主党、公明党、国民新党、社会民主党、新党大地、日本共産党、みんなの党、等に所属する議員が発起人となり、総勢57名の超党派議員が参加[28]、代表には牧野聖修・民主党衆議院議員、事務局長には鈴木宗男・新党大地衆議院議員が就任した。同議員連盟発足について牧野は「足利事件で無罪が明らかになるなど冤罪への関心が高まっており、袴田さんの冤罪を信じる議員が集まった。今後は法務大臣に死刑執行の停止や一刻も早い再審の開始を求めたい」と述べている[29]。同議員連盟は、設立総会において、冤罪の可能性とともに、死刑執行への恐怖が長期間続いたため袴田は精神が不安定になっていることなどを指摘し、今後、法務大臣の職権による死刑執行の停止や、医療などの処遇改善を求めることを決めている[30]。 同議員連盟代表の牧野は、強い拘禁反応によって心身喪失状態にある袴田に対し刑事訴訟法479条(死刑執行の停止: 死刑を言い渡されたものが心神喪失にあるときは、法務大臣に命令によって執行を停止することができる)に基づき、法務大臣に対し職務権限による死刑の停止と、速やかに適切な治療を求めるとともに、再審の道を開くべく追求することを表明している[31]。また、担当弁護士は、国際法規に照らしても拘禁反応や糖尿病を放置している状況は人権侵害だと述べている[28]。 また同議員連盟で、弁護団から、死刑確定後30年近く経過している現状は拷問等禁止条約などに違反している疑いがあるため、日弁連に対し人権救済の申し立てを行なった、などの報告があった[31]。

その後鈴木が失職、牧野が落選し、他の参加議員にも変動があったため、2014年3月、袴田の再審決定・釈放を前に50人の超党派の国会議員が再結集し、議員連盟を再構築した。役員は以下の通り(政党名は2014年3月当時)。

会長 塩谷立(自由民主党衆議院議員)
世話人 逢沢一郎(自由民主党衆議院議員)・漆原良夫(公明党衆議院議員)・照屋寛徳(社会民主党衆議院議員)
顧問 大口善徳(公明党衆議院議員)・生方幸夫(民主党衆議院議員)・谷畑孝(日本維新の会衆議院議員)・柿沢未途(みんなの党衆議院議員)・杉本和巳(みんなの党衆議院議員)・仁比聡平(日本共産党参議院議員)・畑浩治(生活の党衆議院議員)
事務局長 松浪健太(日本維新の会衆議院議員)
事務局次長 鈴木貴子(新党大地衆議院議員)
生方幸夫・杉本和巳・畑浩治は2014年12月の第47回衆議院議員総選挙にて落選。
映画
後藤忠政の製作で『BOX 袴田事件 命とは』(高橋伴明監督・2010年)が公開された。2016年2月、ドキュメンタリー映画『袴田巌 ―夢の間の世の中―』公開決定。

ギネス認定
袴田は、「世界で最も長く収監されている死刑囚」として、75歳の誕生日である2011年3月10日付でギネス世界記録で認定されたが[32]、非人道的行為に対する認定行為であったことから2014年現在は取り消されている。認定の対象期間は、静岡地裁で死刑判決を受けた一審判決の1968年9月11日から2010年1月1日までの42年間である。


 引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%B4%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6



■以下、Twitter民の反応(記事内に画像・動画等あり)■


袴田事件のような例があると死刑は廃止するべきと思っちゃうね。
でっち上げの可能性があるから。

でも、そうでない凶悪で確実な犯人の場合は死刑は存続して欲しい気持ちはある。

まあ、袴田事件については、物証も乏しく、こちらもシロかクロかの判断はつかないが・・・。とにかく、もし、犯人が個人でなければ、ヤクザかもな・・・。理由も怨恨ではなくて、金銭トラブルか・・・。

袴田事件再審取り消し決定、その不自然な内容や、大島隆明裁判長の過去の無罪判決の経歴、犯人視報道が消えかかっていたのに昨年から検察情報リークが再開されたことから考えると、政治的な圧力があった可能性も否定できない。

袴田事件の再審が取り消す最高裁の判断を皆さんどう思いますか今後同じ様な事件は再審は無いかも足利事件の様な警察庁法務省のメンツ丸つぶれの様な惨めな思いをしない為にも再審を認めないこれから警察と警備会社の悪の栄える法案が通れば陥れてでも犯人に仕立て上げようとしている警察に反するからね

袴田さんの再審を東京高裁が、地裁の再審開始決定を覆す決定をしました。とんでもないことです。検察は裁判の中でやればいいものを裁判所に委ねるのはおかしい。また、事件発生から1年以上経ってから、味噌ダルから犯人の衣類が見つかるという不自然、捜査記録全てを国民に明らかにしてもらいたい。

袴田事件は弁護側の新たな証拠が弱かったということでしょうか。再審イコール無罪という常識が再審決定を拒否したのならば本末転倒です。
袴田さんの現在の姿は、もはや事件の記憶も無いように見えます。
真相は分かるのか。もし冤罪ならば他に犯人がいるわけです。殺された方のご冥福を祈るだけです。

袴田事件、日本の司法に疑問、検察に起訴されたら99%が有罪になるという、大阪地検の佐川不起訴を見ても検察の判断がいつも正しいとは思えない、成績のための犯人でっちあげもありえる、その検察を擁護するような今回の高裁判決、真犯人なら50年も頑張れるはずがないだろう。

袴田事件、ザ・ジャパニーズ危機管理って感じで実に。
日本は他の先進国同様、表面上は冤罪出すくらいなら犯人取り逃してもよいって思想で司法が作られているのだけど、だからこそいざ生じてしまった冤罪かもしれない事案にはお化けなんてないさ状態で真剣に考えない。

袴田事件。当時の警察・検察の証拠には矛盾がいっぱい(味噌樽の中まで徹底的に調べて出なかった服が、一年以上経って味噌樽の中から血痕付極小サイズが見つかった。侵入場所が小柄な警官でも入れないのに大柄な犯人は入れたと決め付けた等)なのに。裁判が正しかったと言うなら万人が納得いく説明しろ。

【袴田事件再審取り消し】検察粛々「犠牲者のことも考えるべき」 ←犠牲者の事を考えるべきなのは当然な事だが、袴田氏が犯人かどうかは全く別の話。彼は警察の証拠ねつ造によって犯人に仕立て上げられた冤罪だ。弘前事件と似ている。犠牲者云々…は検察の自己保身の詭弁。

@YahooNewsTopics それを退けて今回の判断に及んだからには、裁判所はこの事件の犯人
は袴田さんと判定している事になるし、再収監するとしなければ、
判断自体に矛盾が生じる。
(続く)

袴田事件、そもそもなんで警察は捏造してまで犯人に仕立て上げたいんやろか?犯人が見つからなくて事件は闇のままに、の方がよっぽどマシやわ、全くの無実の人を捕まえたってその人とその家族の人生を殺すし、被害者にとっても真犯人がのうのうといきてるのは最悪なこと、こんなの真犯人しか得がない。

袴田事件は年齢的にも犯人のまま早く死んでもらってうやむやにしたいって腹だろうな

自分の子供を虐待して死に至らしめたり無差別の通り魔殺人を犯して逮捕された容疑者について、メディアは時間を割いて深く取り上げるけど、無実の袴田さんを殺人事件の犯人に仕立てあげて死刑囚にまでして48年もの長期間勾留し人格を崩壊させた人間たちがどんな人間なのか取り上げられることは、ない。

地裁は、完全に警察や検察の捏造と認めて再審決定をしたのに、結局、警察や検察、裁判所がグルになって犯人を仕立て上げた事を認めてしまったら、これは国を揺るがす大変な大事件になってしまうからね。自分達の下らないメンツを守る為に袴田さんを犯人にしたままでいるのだから、本当に腐っている。

冤罪の袴田さんをいつまでも苦しめてないで、新幹線の殺傷事件の犯人とか、5歳女児虐待死の親とか、あおり運転殺人犯みたいなのを、さっさと捌けばいいのに。#袴田事件

袴田事件の犯人は、99%長女だろうね。釈放の日に死ぬなんて出来すぎ。ただ、実行犯も長女かどうかまでは分からない。長女の頼みで実行犯は別って可能性もある。ちなみに、一応袴田さんが犯人って可能性もある。でも、どのパターンでも長女が絡んでいるのは間違いないだろうね。

真犯人が別にいて、長女を犯人にするために殺したって可能性もなくはない。しかし、それをするメリットがない。下手に殺すと現代の捜査力では犯人として特定されるリスクが高い。そしてそうなれば袴田事件の犯人の証明にもなってしまう。この可能性は限りなく低い。

袴田事件といえば、捜査や司法のあり方もだが、犯人検挙を求めるマスコミの圧力も無理な捜査の背景にあったと、えがしょうさんが著書「冤罪の構図」で指摘していたなあ。

袴田事件の東京高裁決定に納得いかないと思っている報道関係者へ。
あなた方の先輩がやらかした犯人視報道が、袴田さんを人質司法の世界に送り込んだんだよ。

#報道ステーション『袴田さん再審請求認めず⇦東京高裁』袴田さんやお姉さん屈せずの思い聞き、涙が出た。身内が冤罪事件支援をしており、権力が無実の人を犯人に仕立て上げ、罪をきせた事件をいくつも知っている。これを許しておくと、ナチスが独国会炎上事件を謀り、戦争反対勢力を潰した世再来恐れ

袴田さんの事件、本当に彼が無罪なのだとしたら真犯人は何食わぬ顔でのうのうと生きてて、もしかしたら他にも殺しているかもしれないよな〜……中堂さんの「俺を犯人扱いしている間に高瀬が何人殺したと思う?」が蘇るわ。

今日の袴田事件とか、足利事件とかの話を聞いていつも思うのが、この人たちは冤罪なんだろうけど、じゃあ本当の犯人は誰なんだってこと
そっちの捜査はちゃんとやってんのかいなと
冤罪に遭った人たちも被害者だろうけどその前に殺された被害者たちがいるだろ

何故、名張毒ぶどう酒事件で逮捕された奥西氏と味噌会社専務一家殺人事件で逮捕された袴田氏をどうしても犯人に仕立て上げなければならなかった理由は何なのか? #報道ステーション

犯人が袴田さんじゃなさすぎるのに、裁判所ともあろうものが恥ずかしくないのでしょうかねえ。はやく謝ればいいし真犯人が逃げきれすぎるんですけど。迷惑なひきのばしですね。ほかの事件の判決もどんなものでしょうね。 #袴田巌 #東京高裁 #報ステ

袴田事件のニュース観てると、
これさあーもし仮にこのおじいさんが犯人じゃなければ、
他に犯人が居てその人は捕まってないんだよねえ?
恐いよねえ…

袴田事件、1966年なんだよなぁ。ここまでくると、なにがなんだか。
血痕が着いたパジャマ。この血痕のDNA鑑定。パジャマに血痕が着くのは尋常ではないが、パジャマの姿で殺人・防火するかしら。
普通に考えたら、別に犯人がいるような気がするなぁ。
もし、わたすが殺人をするなら、パジャマ姿ではない

袴田事件の再審請求を高裁が認めなかった件だが、科学的でないというのは理由としてどうなの?そもそも科学的に袴田さんが犯人だと言い切れるのか?

袴田事件の 再審位は やった方が良いかもしれないですね。
冤罪か 犯人か はっきりわからないけど

冤罪の可能性あるなら やっぱり再審するのが妥当だよね。

制度とか 法律変えた方が良いだよ。

無罪だと思ってるのに 有罪判決後だした 裁判官も悪いんだから。
もう 話出来ないくらいに なってるけど

袴田事件えげつないな。
現在の技術でほぼ袴田氏の犯人の可能性は無いってわかったのに過去の判決で出した死刑を覆したくないっていうだけの理由で死刑続行とか狂ってるわ

袴田事件で検察や裁判所が頑なに認めない理由はなんなんだろ。責任取りたくないとかメンツが保てないとかそういう理由からか、被告が犯人であるという確信があるからか。えろい人に教えてほしいやつ。

袴田事件も 制度変えないと。
自民党よんで 変えさせた方が良いだよ

俺には昔の事件だから 犯人か 冤罪かわからないけど。

制度変えないと いくら騒いでも無理なんだから。

袴田事件怖いわ。拷問で犯人に仕立て上げられるとかもう・・・。これが普通に通るなら今後も事件発生するたびに誰もが犯人にされる可能性あるよ。

袴田事件において、そもそも捜査してきた検察や裁判官など司法に携わった人々の実名と顔公表をテレビでされてないのが不平等過ぎ。
犯人追い込む側も晒されないと、権力者のずさんな暴走を抑えることは無理。
権力持って調子乗った人間が何しでかすかなんて!歴史見てれば分かる。

昭和24年6月30日        これは私が生まれた年である。昭和24年は大きな事件がおこっている。弘前大学教授夫人殺害事件、那須隆さんが犯人にでっち挙げられ11年の刑に服している。ところがその後真犯人が自首してきて飛んだえん罪事件であったことを知らされた。そして6月30日は袴田巌さんが

袴田事件、とりあえず袴田さんを犯人にしとかないと検察と検察寄りで出世した裁判官の面目が立たないのは分かった。(分からないけど)
じゃあ真犯人はどこにいるのかと思ったら娘の可能性があってもう死んでるとか…闇深すぎだろ…

例の事件の犯人が発達障害って報道されて、嫌な気持ちになって腹が立っている。袴田事件のことも、腹が立っている。世の中、腹が立つことばかりだ。

@NPA_KOHO 袴田事件だって犯人は秋篠宮佳子の井上真央でしょう?永野と乙葉とノンスタイル井上に聞いてください!偽織姫問題なんですから!もう盗ったものを返して下さい!

袴田事件てご存知な方、ツィッター世代には少数だと思います。冤罪(ほんとは無罪) かもしれなあ事件の一つです。1966年の事件です。
犯人とされて死刑が確定してものの1980年に死刑確定。再審するかどうかで高裁が再審認めませんでした。当時はDNA鑑定とかなかったから。袴田さん82才です。

袴田事件の最近の動きで警句並べてる人間に「容疑者」の段階で犯人扱いしてるやつはいないよね??いないよね???いないよね???? #本当に大事なことなので3回書きました

袴田事件の再審を認めない高裁の判断およびだからといって収監等もなしな対応は理解しかねるが
再審と言う事はまだ犯人である可能性は捨て切れてないのに
関係者じゃないのにさも無罪確定かの様に言ってる界隈はもっと理解できないし
新潟知事選で勝った安倍のせいだ言ってる界隈は永遠に理解できない

袴田事件ってつまり弁護側が怪しい検証方法で「犯人違う!」言うたもんが何処の大学で同実験何回やっても違う結果しか出なかったので「こんなんで犯人じゃないとか通るかボケ」って再審棄却したってことだよな。

袴田事件。
法的にも世論的にも犯人に極刑くだすのは重要とされている。
でも、冤罪を回避する方が、より重要だと思う。
無実の声が届かない…この恐ろしさをリアルに想像できる人には、その意味がわかると思う。
被害者の心中もわかるけど…。

袴田事件という名称もおかしいけどね、そもそも袴田さん犯人じゃないし。

冤罪を主張する側
真の犯人だと主張する側

双方のためにも、改めて真実を問う場を司法は用意すべきなのでは

袴田事件の再審の壁は、刑務所の壁より高く、厚い

#袴田事件 #再審請求棄却 
#東京高裁 
#やせっぽちの国の住人

袴田事件、なんで再審棄却なのか意味が分からない。犯人じゃない証拠の信憑性がないからだと?犯人である証拠の信憑性はあるのかよ!推定無罪って習わなかったんか。

@smiley_kikuchi まあ人だから間違いもあるし、袴田さんが犯人じゃないかも知れないし、犯人かも知れないから、証拠ない事件って言うのは複雑怪奇で、難しいよね。

袴田事件。
無罪主張を止めない辺り、やってねーんちゃうかと思う。でももし袴田さんじゃないなら、犯人は他人を貶めてることに心を痛めないのかな。
でもほんとに袴田さんが犯人なら、そろそろ足掻くのやめてほしいな。

#東京高裁 #袴田事件

袴田事件、冤罪で可哀想みたいな雰囲気か。この前の新潟の事件や東海道新幹線の事件の時は犯人逮捕と報道された瞬間、死刑にしろ!とかキチガイだ!とか言ってた人達がねぇ。Twitterなんて所詮こんなもんだ。

東京高裁「袴田事件」の再審を退ける司法は何してる??
袴田さんをどうしても犯人にしたいのか??